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Posted by naturum at

2020年09月10日

空の青さを知る












人にも リセットスイッチがあればいい・・

頭の後ろなんかにあって

それを押すと 全て忘れるスイッチ



そんなの・・   ないか 



ないよな (笑)










よしっ



レッツら ゴー!!


旅に出よう!





















てなわけで

出かける その前に

車検も兼ね トレーラーの点検整備を・・






























































このキャンピングトレーラーの車検、 もう 何回目だっけ・・ 

4回? 5回??

こうして自分で車検場まで ひっぱって行くのも 最近は慣れてきた












初夏のこの日は特に暑くて

クーラー無しの検定者は辛そう・・

月末のせいか 今日は混んでる

































< 今回は 長旅 になりそうだ >










夜型の俺にとって 日が昇り始めるこの瞬間が 好きな時間


高速も 空気も 澄んでる感じ!













































太平洋を北上してみる

地平線を眺めながらのキャラバン

やっぱり 海辺のドライブはいいよねー ♪黒






























うわ~   空の色が濃いっっ






















































なにやら  秘境的な道を歩いて たどり着いたのがこの場所




Good なサーフィンスポットを 見つけた!

















WAO !

いいぢゃん いいぢゃん !!






















誰もいない Privatebeach  一人満喫  ハート



































海辺ちかくには 単線も走ってて

なんだか茅ヶ崎や 鎌倉っぽいロケーション・・

近くには民家はなく ここまで波の音が聞こえてくる




























更に そこから 10km 北上した このスポット

10人程のサーファーが海入りしてるけど

ここも空いてて いい感じ
















海水浴場ダケド・・  結構 波が   ある  ある!




飯岡(千葉北)に似てるなー  この感じ・・





















































































































































頭の上いっぱいに広がる空間

都内ではなかなか見れない 空の青さ・・

ずっと眺めていると ふと 吸い込まれそうになる



















<  井の中の蛙 大海を知らず  >




自分の考えや行動の狭さを表す ことわざ

反面、井の中の者の考えは狭く無知だと

勝手な思い込みに囚われていることを表す意味にも取れる








今までの人生は 全力で走りっぱなしの毎日だった

何に怯えていたのか・・  何に急かされていたのか・・

きっと  足を止め 立ち止まる勇気が無かったんだろう










井の中の蛙の句には 続きがあると言われている・・





< 井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る >






井の中から見上げた 空の青さや 深さ は素晴らしい



でも



大海原に出たからこそ 改めて 空の青さ に 気付くこともある

























Peace You All






























  

Posted by juba at 19:52Comments(12)So Cool !!Slow Life//Conception

2020年08月16日

価値ある時間







Ank





記憶に残る 二週間でした

皆さんのお気持ちに感謝いたします




Last two weeks to remember
Thank you all for your kindness.




Special Thanks !!




















SAYAKA





















































































































































































































































































































young businessman




























































































Thanks. Junko Aoki !






































































楽麻呂師匠


















Mrs. Matsumoto





































My folks are here. Thanks !








































































今日は 俺に音楽の全てを教えてくれた 先輩の家でDinner









































































































今夜も レアな音を聴かせてくれる




















































































































































































Y&T. BIG BROTHER 











































































































TAKATOSHI



































BROTHER

























































夜な夜な 遊び人が集う場所  


Ank


















































































































































 























一緒に過ごしてくれた

友人 知人に 心から感謝を申し上げます

素晴らしい時間をありがとう!































































































  

2020年08月09日

The History of Bartender










34年間 ありがとうございました




今までに手掛けたBARは4店舗  そして、2020年6月20日 渋谷店で最期となります


これまで長い間 自身で立ち上げた仕事で生きて来れた事


そして 素晴らしい出会いと学びを授けて下さった 全てのお客様に 心より感謝を申し上げます




これまでに作り上げた Cocktail は 約20万 order


ずっと壊れずに仕事のサポートをしてくれた Icepick や Shaker にも感謝








<    自分らしく生きて行く    >








新たな道を歩き出します


またお会いしましょう!










Thank you for 34 years.
I've worked on 4 bars so far.
2020′ June 20 will be the last day for the Shibuya store.

The fact that I've been able to live up to this point with the work I started up by myself
And I would like to thank all of our customers for the wonderful meeting and learning experience.
Thank you very much.

The cocktail we have created so far has reached about 200,000 orders
Thanks to my warriors ice pick and shakers who have supported me in my work without breaking down all the time.


<    I'm going to keep living my life the way I was born    >


I'm moving on to the next stage.
I'd love to see you in a private bar!



Thanks!



































































































































































































































19 years old














23 years old












































peace you all !!















































  

2020年05月24日

Bartender Technique












今日は皆さんの御自宅でも使える
便利な BARテクニック をお教えいたします!


( ※ 個人のスキルですので、他のバーテンダーが皆出来るものではありません )

























<  切れたコルクの ピックアップ  >



Wine や Whiskey のコルクが 途中で切れたことはありませんか?






店でもよく
ヴィンテージウィスキーやバーボン、糖度の高いラム酒などは
コルクが瓶に固着し 千切れやすくなっています

古いワインなんかでも コルクが 傷んでいて
引き出す途中で切れてしまったり・・

もう一度スクリューを差込んで無理に取ろうとすると 
コルクの破片がドリンクに散ってしまう…
なんて事にもなりかねません


そんな時には 人差し指キラキラ


コルクを引き出すのを止め そのままボトルの中に落とした方がベスト!

その後に
原液を一時デキャンターに移し替えてから 切れたコルクを取り出し 
また原液を移し入れれば 元の状態に戻すことが出来ます





魔法の様な その方法をお教え致します!





















<   1 SHOT   >



皆さんは 自宅飲みの際に お酒の量を量っていますか?

お酒は やみくもにグラスに注いで飲むよりも
適量を量り飲んだ方が 香りや 甘さを楽しむことが出来ます








グラスへ注ぐお酒の量は 1杯 30ml を 1Shot ( 英語圏では 1oz オンス )

1960年代は 1フィンガー とも言われ
大人の人差し指を横にした高さまで酒を注ぐと ” ちょうど1杯分 ”  ダブルならば ”人差し指と中指を横に並べた量 ” となり

< 指の太いBartenderならば 多めに注いでもらえる >

そんな 遊び心のあった時代でした ニコニコ







店には メジャーカップ というものがあり、それぞれ 30mlと 45mlの量を量ることが出来ますが
Bartender ならばメジャーを使わず ナックルで正確に分量を量ることが出来ます


皆さんの御自宅に ブランデーグラス はありますか?


ブランデーグラスを傾け、グラスのエッジ(縁)までお酒を注ぐと 
ちょうど 45ml… 少し手前までならば 30ml… となります


是非お試しください!























< Whiskey と Cigar >



ウィスキー類は 樽で熟成させますが、 樽を組み上げる前に 内側を焦がす工程があります

チャー や トースト と呼ばれるその作業は 熟練の樽職人 マスター・クーパーが行い
その樽木の焦がしによって 木に含まれる バニリン という成分が モルトウィスキーに 絶妙なバニラ香を含ませます

” スモーキーな Whiskey が Cigar に合う ”  

そう言われるゆえんは そこから来るのかも知れません







巷では ” 煙草 ”  と言いますが、タバコには 主に3タイプ

・紙に巻かれた Chigaretto(シガレット)
・煙草の葉を刻まずに そのまま巻いた Cigar(シガー)
・両切りと言われる カット済みの Cigarillo(シガリロ)

BAR でモルトを楽しむならば やはり Cigar をお勧めします!






< キューバでは 高価な葉巻を買うと 着火用に、杉や松の木板が おまけで付いて来ることも・・ >


薄くカットしたその木板は 長さが7cmぐらい、
実際に触れてみると まるでサキソフォンのリードのようなものです 

森の香りがする木板で 葉巻に火を着けるなんて 洒落てますよね ニコニコ

因みに・・ 社会主義国キューバの 認定葉巻職人は 皆さん公務員だそうです



葉巻にはライターではなく 木板やマッチで火をつけるのがベスト・・
マッチ特有の " リンの燃焼香が GOOD! "  なのですが、 火力が強く 太い葉巻にまんべんなく火を渡せられるのも 理由の一つです



とは言え
自分はノンスモーカーですが (笑)


















peace you all

































  

2019年07月17日

ローリングストーン











子供の頃は よくこの川で遊んでた

今も全然変わらない風景があるってのは嬉しい



















≪ サケは自分の生まれた川を覚え 大海原から故郷の川を嗅ぎ分けて遡上する  ≫





そんな話を聞いたことがある



でも・・



人間も 生まれた時の  スーッ  っと吸い込んだ
最初の肺呼吸の空気を覚えていて


その場所の 匂いや音
目に見えない何か が 脳に取り込まれ
それが故郷の記憶となる 



だから人は 傷ついても 最後はそこに戻ろうとするんじゃないか・・



故郷の 瀬月内川 (せつきないがわ) を眺めながら
そんな事を考えていた




























山から生まれた石は
最初は皆、荒々しい形をしていて

お互いにぶつかり 擦れ(こすれ)合いながら
自然の力で 流されていく  



旅の途中
 
尖った(とがった)石にぶつかり 傷つく者・・

耐えきれずに 割れてしまう者・・



川や海には 長い年月の中を耐え抜き
角が取れて丸くなった そんな石がいくつも流れ着く



そして



旅を終えた石は 少々尖った石にぶつけられても
割れたり 傷もつかない石となり
唯一無二の存在となる


















幼い頃、
今は亡き父に こんなことを訊ねた事がある



『 なんであんなにいっぱい星が浮かんでいるのに 落ちて来ないの? 』



二人で見上げた 広い校庭の上空には
数えきれない程の星が浮かんで見えた









無限とも言われる宇宙は
全ての物質が素粒子というもので出来ていて

その空間にある 膨大な素粒子の数は
永遠に変わらない・・

ある物理学者は そう唱え(となえ)る



星が消えれば また新しい星が生まれ
無駄なものも 無意味なものも
そこには存在しないそうだ








40兆個の細胞を持つ人間も 最後は素粒子になって
それが また 他の物質を生み出す







人間の心も感情も エネルギーを帯びた素粒子ならば
何かに形を変え

良い行いも 悪い行いも やがて自分に戻って来る・・

因果応報といったところだろうか









奪って徳は無し

譲って損は無し





先人の知恵は 長い時の中を流れ

傷つき 磨かれ

培われてきたものだろう

























  

Posted by juba at 07:24Comments(2)Conception

2016年11月18日

骨休め






≪ 今夜は 68年ぶりのスーパームーンが見られるでしょう ≫






なんて言われていた日の深夜



う"  っ   びりびり


ちょっとしたトラブル事があり 右手を痛めた








自分で 強引に戻しては見たけど・・ 
指が 変に曲がっている感は 否めない







でも大丈夫

ギターも弾けるし・・

そのうちに治るよ










なんて 周囲の心配をよそに 本人は涼しい顔

でも、アイスピックで氷を割ると 右手に激痛がはしる
シェーカーはマジ無理だった








結局 そのまま4日間 過ごしてたけど・・



トレーニングの日
 
プッシュアップバーが痛くて 握ることができず
体が上に持ち上がらない
右手が 膨らんだゴム手袋のようになっていた










見ると 手の平が 紫色になっている

≪  しょうがない   病院に行ってみるか ・・  ≫






そんなこんなで  しぶしぶ病院に
   
≪ れっつら Go  ダウン えーん ≫


普段、滅多に病院なんかには行かない俺・・   だから  その度に
≪  紹介状の無い場合、特定療養費として2,700円をいただきます ≫   って言われちゃう










受付を済ませ 
初診受付表を手に 向かったのは ここ・・   整形外科の窓口



ゲッ   めちゃ混んでるし タラ~

そういえば・・  
以前、 腰痛がひどくて来た時も めちゃくちゃ混んでて 結構待たされたんだっけ・・   それ 忘れてたよ  やべー









朝9時に受付をしてからの 待ち時間は
ディズニーランドも越える勢いの ざっと3時間

まだまだ  呼ばれる気配が無い・・  (笑)  








やっと診察が周ってきて 
レントゲンや CT台の上に寝っころがった頃には 既に5時間が経過・・









結果・・




『   やはり折れてますね   』



と担当医








先生、   このまま放っといて くっつきますか?



もしや・・  と思い 聞いてみた



『  くっつきません このままだと指や手が曲がらなくなりますよ 』


『   全身麻酔で オペになりますね  これ   』



ゲッ
  タラ~




素人目では 綺麗に折れているように見えるけど、  どうやらこれ 結構 面倒な骨折らしい・・


そのまま医師に促され 急遽 入院の手続きをすることに・・












≪  とりあえず この日は自宅に戻ることができた  ≫



『   冷蔵庫の中に買い溜めた食糧があるから  入院中は傷んぢゃうな・・  』



まとめて煮込み 子供達にカレーを作ることに

手は折れていても 包丁が使えるのが不思議 (笑)









よしっ  できた!









できたよ・・ カレー









できたってば・・







ん?  なに??  スターウォーズ 探してんの?

俺が入院するのを 知ってか知らずか   子供たちは最近覚えた WOWOW の番組表に夢中

おいおい パパはしばらく 居なくなるんだぜ  人差し指



どうすんだよ・・    このカレー (笑)











青い星   青い星   青い星








≪  入院当日  ≫





入院受付を済ませ 案内人の後ろを テクテク ついて行った

どうやら 入院するのは このビルの6階らしい





















案内されたのは この部屋・・









個室・・!?

WAO !!










≪ てなわけで・・ 家族にも  誰にも 人知れず・・  今日から孤独な入院が始まった ≫


















しばらく 部屋ん中で ボーっとしていた

毎日 休みなく タイトなスケジュールだったから
急に時間が 止まったみたいだ  (笑)

全身麻酔なんて   大丈夫かぁ ダウン 
これから この手は どうなるんだろう








ここ 6階からは景色がよく見える・・

外は綺麗に晴れていた









下の公園では ママさんや子供達がいっぱい      みんな 小っちゃくて 可愛いーな  あはは
リリカ や ミヅキ達も つい最近までは こんなだった









なんて・・    しばらく 外を眺めていると
看護士さんがやってきて 腕に輪っかを付けていった

これ、   点滴や 注射の際に   ピッピ ピッピ   ハンドスキャナ でやっていく

どうやら このバーコードで 全てを管理するみたい









ついでに・・


手術をする方の手に なにやらマジックペンで

       って 落書きを・・  (笑)

手術する方の手を 間違わないようにする為らしいけど・・

       ってさ   テヘッ


マークの    かな??










そうそう  人差し指
このベットマットが すごく寝心地がいい!

シーツを ひったくって見てみた・・   <  PREGLAR プレグラー >   って書いてある

調べると  PARAMOUNT BED 社  の 製品のよう  









この マット・・   入院中 一度も腰痛が起こらなかった

それに  スポンジマットにありがちな  < 変な湿気や 蓄熱で寝苦しい >  

なんてこともなく 快適な寝心地を ずっとキープ

この寝心地を体感すると  もうスプリングマットには戻れないね・・  (笑)

これなら 自宅以外に キャンピングカーや トレーラーなんかでも 使えるかもしれない ちょき


 

そんなマットの予備が 病棟の廊下に いくつも立てかけてある



 








見ると 色々な種類がある このマット・・   
色の違いはマットの固さかな ?!










院内を しばらく散策し 病室に戻ると 早速に昼食が出た 

WAO!  嬉しいな  ハート

家内から御飯を作ってもらえなくなってから もう2年・・   
他人から こうして暖かい食事を いただくのは久しぶりだ ニコニコ











しばらくすると・・




コンコンッ  びりびり  グー




『  これ着てくださいね!  』



看護士さんが 手術着を持ってきた








ダボダボ してて ちょっと重い感じの この手術着
どんなものかと  試しに着てみる・・

おいおい・・  これって タラ~
















俺は 映画    ≪ テルマエ・ロマエ ≫   の 阿部寛かいっ グッド   (笑)













それに・・   今度は 別の看護士さんが入って来て またまた こんなのを置いてった


<  手術用の ふんどしパンツ と タイツ  >


ふんどしは普段 神輿なんかで締め慣れてるから 大丈夫だけど・・     白タイツって・・  タラ~







真冬でも サンダル 引っ掛けて海遊びに出かける俺が


タイツかいっ   グッド


白タイツなんて履いたの  幼稚園のお遊戯会でやった


≪ 因幡のウサギ ≫   以来だよ・・  (笑)


40年間守り続けた 俺の男気が ガラガラ 崩れ去る










こんな 突込みどころが満載の この病院


さあ 明日は初めての手術・・   そして全身麻酔だぞー ダウン













黄色い星  黄色い星  黄色い星










一分間ぐらい 眠ってしまった

いや・・  1時間40分も 寝ていたらしい タラ~

ぜんぜん 記憶がない・・





自分の足で手術室に歩いて行き   自ら手術台の上に寝っころがった・・




『  ドウチさん マスクしますよー  息が苦しくないように 少し 口との隙間空けときますね  』


『  はい ありがとうございます!  』



これしか覚えていない




確かに 酸素マスクはしたけど 匂いもなくて  冷たくも 熱くもない 普通の空気を吸っていた

だから    ≪  まだ麻酔かけてないんだな・・ ≫   

なんて 目の前にある いくつも並んだ 丸いライトを眺めてた




眠い   眠い   眠い




名前を呼ぶ声で目が覚めると 全てが終わっていた



へっ?

さっきまで起きてて・・ 

ちょっと一瞬 目を閉じてただけなんですけどー 







眠ってたのは1分ぐらいにしか 感じられない

夢なんか見ることもなかった

亡くなった父や 爺さんに会うこともなかった  

話したいことが 山ほどあったのに・・ タラ~

まるで 魔法をかけられたようだ




≪ こんな麻酔なら 何百年も先にある星に 眠ったまま行けそう ロケット  ≫



なんて・・   そんな事を考えながら  ガラガラ  と ベッドのまま病室に運ばれている 俺


途中、 やたら ペラペラ 話したくなる・・   麻酔の後遺症なのか 口が止まらない


もし、 口の堅い人を尋問するなら 全身麻酔の後がいいね きっと   (笑)











病室で 最初に見た景色は 綺麗な夕焼だったー   ハート



  









って      手はっ?






おぅ~ こんな大げさに・・

まるで これからグローブをはめる ボクサーみたい











どうやら 手は切開せずに チタンの棒4本で 骨を固定したようだ

聞くと この棒・・   骨がくっついたら 麻酔無しのまま   ぐりぐり   ペンチで引き抜くらしい









麻酔なし・・  ?


『   えっ 耳    先生・・     麻酔無しで   ですか??    』


『   はい!   』     ( きっぱり )


おぅ~  へへん     なかなか ロックなお医者様だこと・・    (笑)







麻酔無しって ・・   タラ~


なんでも・・    
抜くときの痛さよりも、局部麻酔をする 注射の方が     痛いとか  痛くないとか・・    どっちやねんっ グッド (笑) 







ここに プラス(+) と マイナス(-) の線をつなげたら 電球が点いたりして・・  (笑)

レモンかっ 俺は テヘッ
















くぅ~    

麻酔切れの傷みと 軽い吐き気で 動くことができないぜ











おまけに 点滴に繋がれていた









『   どうちさんっ  このまま明日まで 動かないでいて下さいね!   』



全身麻酔の後は 立って歩くことが制限される

なんでも・・    <  麻酔明けは 体に力が入らず コケてしまう  >    から だとか









でも 看護士さんが居なくなると   こっそりトイレに シーッ

ふぅ~  すっきりぃー ハート

点滴のせいか  なんだか またすぐにトイレに行きたくなる









麻酔で眠ったからか  この日の夜は なかなか眠れなかった
おまけに  夜中に大声で徘徊する 痴ほう症のお爺ちゃんが朝方まで・・

看護士さんがベッドに誘惑するけど、 じいさん なかなかその気にならない (笑)











部屋の前のナースステーションからは 夜通しナースコールが聞こえてきてた









大変な仕事だよね・・












≪  翌朝  ≫






結局 痛み止めを飲むことはなかった









巡回してきた マツエクが可愛い 看護士さんが


『   どうちさぁ~ん   昨夜は何回 トイレに行きましたぁ?   』


げっ 汗   ばれてる・・


『   えっ ?  なんで??   』


『  だって・・  尿瓶 使ってないもんっ  』   ( T_T)\(^-^ )


使えるかー   (笑)







フゥー


やっと点滴から開放されたぜぃ~

なんだか 痩せちまった・・   しばらくはトレーニングも出来ないな










この日の朝は  久しぶりに食事が出た
丸二日間 点滴ばかりだったから すごくお腹が空いていた


WAO!  嬉しいぞ


って・・   よく考えたら     


箸が使えないんですけどー  ( ̄(工) ̄;) / / 


しょうがないから  左手で食べてやったぜぃ      Funkyだろぅ~ ? 










しばし 院内を散歩・・



この病院 受付の横には   ≪ Tully's Coffee  タリーズコーヒー ≫























ガヤガヤした 受付のすぐ横じゃあ ゆっくり飲めないね コーヒー  にっこり       待ち合わせ場所にはいいかも












あんなに混んでいた 整形外科の窓口・・     午後は ガラガラだった














≪  入院最後の夜  ≫





入院中は 夜景が綺麗だったから ずっとカーテンは開けっ放しに

コンクリートの中にばかりいると 息が詰まりそうになるからね

時折  少し開けた窓から入り込む 冬の冷たい空気が 気持ちいい










最後の夜は  わが病室を  
<  Lounge Bar ラウンジバー >  みたくセッティング (笑)










6階から見る夜景は 今夜も綺麗だった













≪  am 6:00  ≫



もう こんな時間から 仕事に行く人たちが 歩いている
みんな こんな早くから頑張ってるんだ・・


それぞれの人生を   みんな精一杯生きている


感慨深く 眺めていた










最後の食事は
白米の横に 赤飯が添えてある

メッセージカードも一緒にね  ハート














ここには 色々な人生があった

毎日 部屋の掃除に来てくれる おじさん おばさん

家族の面会も無く いつも天井を見つめてばかりいる お婆ちゃん

歩けないお年寄りに歩調を合わせ ゆっくりお風呂に向かう男性看護士

深夜 消灯した中で ジッと 一人PCを見つめる若い医師

そして 思いのほか 事務的で辛辣な女性看護士さん達

お年寄りを介護しているとそうなっちゃうのかな・・







≪  人生意気に感ず  ≫     
人生意気に感ずとは、人は利害や打算で行動するのではなく、相手の心意気に感動して動くもの だということ。  
「意気」とは、やり遂げようとする積極的な気持ちのこと。
人は金銭などの欲や、名誉のために行動するものではないといういましめ。








この5日間は 自分にとって 間違いなくターニングポイントとなるだろう



大変勉強になりました








peace you all

















  

Posted by juba at 11:19Comments(2)Funk It !!Slow Life//Conception

2015年10月28日

レッドネック




≪   東北キャラバン    ≫





実家への帰省は年に4、5回ほど



移動手段は その時々により   新幹線だったり・・  高速バスだったり と様々
昔に比べ 岩手までのアクセスは多様になったから便利だ









今回は キャンピングトレーラーでのキャラバン 帰省

後ろに720を繋げ 東北自動車道を 北に向かい走っていた 車  







最近
缶コーヒーが1本あれば 眠気を抑え 500kmは走行できることが分かった  電球

<  コーヒーを飲むと お腹が痛くなる・・  >     だから 普段は絶対にコーヒーを飲まない俺・・        特に空腹時はね。

そのせいか 滅多に飲まないコーヒーを飲むと カフェインが メチャクチャ 効いちゃう!     (  子供かっ あはは )


お茶や 紅茶でもそう・・
先日も  自分で緑茶を 入れて飲んだら  眠ることが出来ず・・  朝までずっと起きてしまった・・  えーん     
でも なぜかウーロン茶なら大丈夫 (笑)


これから 長距離運転には 缶コーヒー持参だね ハート









途中 色々なスタイルの車が 追い抜いて行く
最近は キャンピングカーも珍しくなくなってきた  











東京から 1泊 15時間をかけ ゆっくり移動する長旅だ  ニコニコ   















≪ Hobby社 最長トレーラー ≫


実家のスロープは トレーラーの下を擦り そのままでは入ることが出来ない
720は 軸からのオーバーハング ( 最軸からエッジまでの距離 ) がそれぞれ  前後に 4m ぐらいある為だ

そんな時は こんな木のアングルを並べ  それを頼りに登って行く・・      なんとも原始的な対策 (笑)

最近  ヨーロッパのトラベルトレーラーは低床が主流のよう









この勾配を上まで引き上げるのは ムーバー(電動自走装置)

トレーラーの車輪 それぞれに サポートするモーターは
バッテリー12Vからの動力だけで 2t 以上の車体を 静かに上まで引き上げていく
  
手のひらサイズの 小さなリモコンで こんな急勾配を 悠々(ゆうゆう)と ・・         
この トルクの強さには毎回驚かされる! 










さてさて  休む暇なく家の仕事に取り掛かる ・・
まずは草刈から!










刈り取った雑草は 畑の堆肥に








東京から移植した ローリエ (月桂樹)   
枯れてしまうんぢゃないかと 心配してたけど・・   寒い地でも ちゃんと根を張り  こんなに大きくなった

枝を剪定し 料理のハーブ用に持ち帰ることに









これは山椒の葉  これも乾燥させ料理に使う









これから冬の時期を迎える岩手
今のうちに 実家の車のタイヤ交換と ボディーコーティングを施しておく








休憩中 子供達に 

『   聞こえる??   夏なのに 秋の虫がもう鳴いてるよ!   』       なんて話しているところ

この日はまだ 8月16日 ・・    東北の秋は もう始まっていた。










そういえば この生き物知ってる?
子供達が見つめるその先には・・








≪ 水カマキリ ≫




今日、 ウォータージェッターで 家の外壁を洗ってたら どこからともなく 飛んでやってきた

<  そう! 飛ぶんだよね これ  > 

子供の頃 池や川でよく捕まえてたっけ・・
シンメトリーな この生き物・・    
見れば見るほど 完璧な形をしている    水生昆虫ってすごい!   カッケー ニコニコ








虫といえば・・  今年カブトムシが卵を産んだ

『   カブトムシの卵って ピンポン玉のような 形なんだ ビックリ ‼︎  』         この歳になって初めて見たよ・・   

子供達が どこからか捕まえてきた このカブトムシ ・・     その後 卵からちゃんと孵化(ふか) に成功



  






普段 狭いマンション暮らしの 子供達
母の仕立てた浴衣で 広い一軒家を満喫ちゅ ハート










≪   竹細工   ≫




夜 母が見せてくれた
老人会から いただいた トンボの  <  やじろべえ  >        指にのせると 本物のトンボのよう・・

バランス感覚が絶妙~ な  このオモチャ        昔の子供達ってクリエイティブですごいよね・・  こんなのを自分で作れちゃう     

物を買うばかりの 今の世の中・・       俺も作ってみよっかな













≪   父の七回忌   ≫



父を迎えに すぐ近くの寺に 母と家族で向かう
早いもので あれから7年だ ・・










寺の境内には  通称   < ほうき草 >

昔の人はこれを乾燥させて利用し    畳みや床を ほうき  として掃いたそうだ

細かい枝が四方八方に広がった 綺麗なライムグリーンの葉、
指で触れると 意外に とても柔らかい

なんだか 生き物のように モゾモゾ 動きそう・・    とても可愛らしい植物だ ニコニコ

どんな花を つけるんだろう・・
観葉植物として オフィスに置くのも良いかもね

























無事に父を おくる 事ができた
気持ち良い風が 吹き抜けていく











大好きな夏も もう終わりかぁ ・・
我家は今年も  皆んな 真っ黒に (笑)








≪   レッドネック   ≫


アメリカには  < RED NECK >  という言葉があるそうだ

一日中 下を向き 荒野を 耕す農夫達・・   <  首の後ろが真っ赤に日焼けした  >  彼らを指す言葉だという

ブルーカラー  と同じ意味なのだろうか・・   なんとも言えない スペルだ

でも 俺には それが勲章のような言葉に聞こえる・・    
仕事をする・・   対価を得る   っていう事は 汗をかいて やるものだと思ってるからね

それに、 俺は太陽の下が大好きだ     
ローリスク ハイリターンが主流の時代に   こんな 俺みたいな ブルーカラー の経営者がいても いいんぢゃないかな ニコニコ

庭で一人  コーヒーを飲みながらそう思う・・      今夜はカフェインが効きそうだ (笑)






<  RED NECK  > 


子供の頃に見上げた父の うしろ姿・・

首の後ろは いつも日に焼けてて 真っ赤だった 









Peace You All !!














  

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2014年05月02日

男の勲章


腕や顔に喧嘩傷をつけて帰宅し・・   爆睡する海月(みづき)

今年7回目の夏を迎える彼は 男の勲章をつけるまでに 元気に成長を重ねている















   
7年前の5月、 彼は不慮の自宅出産で産まれてきた

突然の出産・・   そのとき俺は仕事で不在だった



8つ上の兄(ケイト)が キッチンから運んだ タコ紐で
母が 急激な脱力のなか、かろうじて臍帯(へその緒)を縛り 血流を遮断・・   産まれた海月をタオルで包み・・   静かにレスキューを待つ


この一年前に、 病院のトイレで産まれてしまった姉のリリカ…
胎盤が剥がれない彼女に向かって 母体から多量の血液が流れ、顔が腫れ上がった
その経験があればこその 海月への処置・・


その教訓が無ければ、彼には脳へのダメージなど、重篤な結果が待っていたかもしれない 我家の奇跡






子育てと人生は 不意に何が起こるかわからない









どんな形になろうとも・・

家族が幸せならばそれでいい

















  

Posted by juba at 19:46Comments(0)Conception

2014年04月12日

座敷わらし







座敷わらし


座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。
座敷または蔵に住む神と言われ家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある
近年では、座敷わらしに会える宿として岩手県の「緑風荘」「菅原別館」「わらべ」などがテレビ番組や雑誌に取り上げられることでも知られている。  (wikipedia 引用)
   














俺が生まれ育った 旧家での話



その家は 父が中古で買った 当時では珍しい二階建てのモダンな造りの家
以前は 村長も住んでいたというその家を 若い父は譲り受けた

昭和20年代に建てられたと思われるその家は 今は建て替えて新しい家になっている

そこで育った俺にとって、  取り壊されて無くなってしまっても尚 今でも記憶に 鮮明に残る家だ










幼年期の俺は、 たまに夜中に起きて家の中を徘徊する子供だった


その時には決まって
暗闇の滝つぼから川に濁流が流れている夢から始まり ・・

そこに 架かる橋を渡っていると  突然橋が割れ落ち  暗い川に投げ出される・・     
すると  目が覚めて 家の中を歩いている自分に気がつく
   
それは時に、 玄関に裸足で出ていたり・・   畳にちょこんと座っていたり・・       
いわゆる 夢遊病の類なのかもしれない

深夜、 和裁仕事でまだ起きていた母に 叱られ…    
立ったまま我に返った瞬間・・   全身に寒気がし、 怖くなり泣きじゃくる俺


不思議な事に   その夢さえ見なければ 家の中を徘徊することはなかった







未成熟な幼少時は誰しも そんなことはあるだろう ・・

でも、 それで片付けられない事がある


















ある日の夜、  寝室(床の間)で寝ていると ・・      深夜、ふと目が覚める ・・

乳飲み子ならばよくある事だが、5 ・ 6歳ともなると 一度眠りについたら普通は深夜に目を覚ますことはない

それが…    突然 目を覚ます

大きな音などで目を覚ますのではなく    《   部屋の中に何かがいる…   》    その気配を感じ 突然目を覚ます
 




部屋の中は暗くて、  天井から垂れ下がる 1本の裸電球はあるが 勿論 深夜に電球などは点いていない

かろうじて 何処からか差し込む 微かな灯りで部屋の中が少し見える程度だ




ふと・・
足元を見ると    床柱から続く押入れの 白襖(しろふすま) の前に誰か 立っているのが 薄っすらと見える




白い襖紙に   《 なにか 》  が立つ姿
それを首だけ起こして見ていると 徐々に暗闇に目が慣れ   だんだんそれが 男の子だということがわかってくる



その男の子は 5歳ぐらいにも見えるし、9歳ぐらいにも見える

歩いたり、飛び跳ねたり ・・  と  動く事もなく  口を開き、話かけて来る事もしない

ただ黙ったまま  ジッと  立って俺を見ている子供が そこにいる



違和感を感じるのは
その男の子が 俺の知らない時代の容姿をしていることだ


膝小僧が出るぐらいの 丈(たけ)の短い、 よれよれの茶色い着物を着ている


さっきまで 外で遊んでいたかのようにも見える そのくたびれた着物には、 茶色の生地に絣(かすり) の紋様が入っていて 
腰の辺りは 黒っぽい、 しごき帯 で巻かれている
暗い部屋の中でも 白く くすんだ絣 (かすり) の柄がはっきりと見える

絣柄 (かすりがら) は 魔除け柄 とも言われ、 昔は子供に多く着せていたようだ


縫い物をする母の影響で 普段 子供ながらにも着物は見慣れていた・・
でも、  それは あきらかに今よりも古い時代の着物だとすぐにわかった





怖いながらにも 目線を上に上げて行くと
その男の子は
頭はざんばら髮で 上の方を一部束ねているようにも見えるが… 暗くてよく見えない

整った綺麗な顔に 小さな口の 痩せ型のその子供は、   切れ長で 薄く開いた一重瞼の目で   ジッと  俺を見つめている

その目は 何かを語りかけているようにも見える 状景を持った目…


瞬きもしない その目の表情は、 冷たく・・
子供ではなく よく年の功を経た 大人がする冷めた目の感じだ



動かずにただ ジッ と俺だけを見つめ ・・


暫くの間、なにをすることもなく  目の前にいる ・・



横を見ると母が寝ているが・・   その事に気付いてはいないようだ

そんな夜は 母の寝息も聞こえず    部屋の中は静まりかえり ・・     まるで空気も 時間も止まったかのようだった

そして・・     いつの間にか  子供の姿が消えている・・

そんな事が幾夜もあった








大人になってから 、 その夜の事を母に尋ねた事がある

母は よく、   夜中に俺に起こされた・・    と話す…    《   あそこにいる…  》  と 指を差されたが 母には何も見えなかったという

《 夢を見ていたのではなく・・ 暫くの間、 実際に何かを目で追って見ていたようだった 》    とも話す















岩手の金田一温泉郷に、  緑風荘  なる   座敷童が現れる・・  と有名な旅館がある
その旅館は、実家から車で30分ほどの場所




昔、  自然が厳しいこの地域は 貧困からくる間引きや 病いで亡くなる子供が多数いたと聞く

《 間引かれた子供達は 人知れず 土の中に葬られる 》

《 後に そこから不思議な形の草花が生えてくる 》

と 聞かされた93になる祖母は子供の頃、
暗い夜道にそれらしきものを見つけると 背筋が寒くなったものだ・・ と話す

今は国も豊かになったが、ほんの100年前までは、 楢山節考 にも描かれている ような地域での出来事…
成仏出来ない子供がいてもおかしくはない







俺を見つめる あの大人びた悲しい目

何度も …  何度も… 訪ねてきた あの男の子は、    俺に  《 なにか 》  を伝えたかったんじゃないだろうか ・・

そう思い出すと  なぜだか 胸が熱くなる


時には 床柱の前に…    また  ある夜は 襖(ふすま)の端の方に立っている 小さな 昔の子供


幼少期の夢か… 錯覚か


あれから40年も経ち この歳になっても忘れられない
今でも記憶の中に鮮明に残る 時間の止まった 不思議な夜の出来事だ















  

Posted by juba at 17:23Comments(0)Conception

2014年02月19日

お袋の味


- 都内は明日、16年ぶりの大雪でしょう - 




≪     ご帰宅は お早めに・・      ≫ 







ニュースでは そう騒がれていた ある夜、
店のカウンターには 50代のお客様が一人

たまに フラっと御来店いただく常連のお客様だ










『     寒いねー 今日は・・    』







都内でも その日は寒さが身に凍みて、 夜半過ぎには久しぶりに雪が降りそうだと・・ 
店内は そんな話題で盛り上がっていた















そして、 ふとした会話から…






『   もうじき お母様が亡くなられて一年になりますね   』


と、自分





『   早いよね、 もう一年が経ちましたよ・・   』








しばらく思い出話しが続いて

最後に男性はこう言った










『 お袋が亡くなって 一番寂しいって思うこと ・・   


それはね マスター ・・ 
 

お袋の味ってあるじゃないですか?    そんな大した物じゃなくて、ちょっとした料理でも・・


それ もう 口にすることが出来なくなった事なんですよね ・・  』







『     ・・・     』





俺は言葉につまった・・ 





重い言葉だった・・





『   お袋の味 ってやつは 、 家内や娘にもなかなか再現できないものです・・   』




その男性はそう 一言つけ加えた





(   そうか・・  思いもしなかった・・   )




お袋の手料理…

お袋にしか作れない、 あの味は

自分の思い出とも言うべき情景と重なった 懐かしい 《 味 》 なのかも知れない…





童心に戻ったように微笑みながら しみじみと そう話す男性を見て・・    俺はグッとこらえた・・






お袋の味が、こんなにも懐かしく思えた夜はない











  

Posted by juba at 01:15Comments(0)AnkConception

2013年06月30日

1本の物干し竿・・ あの夏の日






こんな 暑い夏の日には    時々思い出すことがある










今から40年ほど前の   ある夏の日・・

俺の生まれ育った場所
岩手の九戸という村にあった 小さな2階建ての 旧家での出来事・・






その日はとても暑くて、 縁側の雨戸や 家の入り口、 通りに面した広い出窓を全部開けっ放しにしていた

裏庭に通じる縁側に吊された南部鉄器の風鈴・・   その舌(ぜつ) に結ばれた短冊が 風になびいて チリンチリン  心地よい音を出している





和裁業を営む母


作業場が道路に面していて まだ当時、 目の前の国道にはアスファルトが敷かれてなくて 土のままだった

風が吹くと 土埃が舞うから ・・ と     あまりその出窓を 開けっぱなしに することがなかった母







夕方にはまだ程遠い時間
その窓際に 一台の車が止まった


停車した車の窓が 日差しで ギラギラしていて、 小学一年の俺には とても眩しく感じた 夏の日の暑い午後・・

その車は 荷台に物干し竿を いくつか積んだ小さなトラックだ







しばらくすると、 運転席から一人のおじさんが降りてきた

こっちに向かって歩いてくる・・    どうやら家(うち)に用事があるようだ




白いTシャツとカーキ色の作業ズボン
首には手ぬぐいをかけていた その小柄な 40代後半ぐらいの おじさんは・・

開けっ放しにしていた家の入り口のドアまで来ると、  静かに 母に こう言った





『   奥様すみません・・    3日の間 なにも食べていなくて・・   なにか食べるものはありませんでしょうか・・   』




頭を下に下げた そのおじさんの 言葉には元気がなかった

それを聞いた母は 少し驚いていたけど、  すぐに着物を縫う その手をとめて ゆっくりと立ち上がりながら・・     こう伝えた




『     すみません    うちにも何もなくて・・             困りましたね・・    』



そして・・   しばらく考えていた母が   思い出したように



『    茹でる 冷麦 (そうめん) がありました、  それしかないですが・・   それでよろしければ 今から作ります    』     


そう伝えると、
入り口に立つその男性は  申し訳なさそうに 



『   ありがたいです  助かります    』      と母に頭を下げた
   








その一部始終を見ていた俺は 母に言われ、裏の通路に面した縁側に案内し・・     縁台に腰掛けた おじさんに水を出す

おじさんはその間、   手ぬぐいで 何度も 何度も汗を拭いていた・・



線を引いたように 夏の太陽が通路に差しこみ・・   通りから 縁側を抜ける 夏の風が心地良い  
 


《   チリンチリン  》  


家の中には 風鈴の静かな音だけが響いていた









しばらくして  母が冷麦を出すと 手を合わせ、それを無言で食べ始めた おじさん


その後 全てを食べ終え、  何度も 何度も母に頭を下げ


『    奥様  ご馳走様でした   本当に申し訳ありません   』


そんな事を言っていたような記憶がある・・


母も 自宅に十分な食べ物がなかったせいか  《  すみません  》  と 頭を下げていた 









その後・・     
おじさんは車に戻ると  荷台から  1本のステンレス製の物干し竿を取り出し、   肩に担いで 戻ってきた




『  何もお礼ができないので、 この竿を置いていきます  』



その ステンレス製の物干し竿は 当時では珍しい   とても高価な物・・
それを1本肩に担ぐと 裏庭の洗濯場に どんどん歩いて行くおじさん


そして それを申し訳なく思い、 制止しようとする母・・


程なくして、  物干し竿を置くと おじさんは すぐに車を走らせて  遠くに行ってしまった








当時は スーパーもない田舎道の山道
集落を移動するのにも何時間もかかる・・

竿が売れずに 何日も何日も 村から村を彷徨い たまたま開け放った通りの窓から 縫い物をする母の姿が見え、
それにすがったのだろう

家 (実家)にも 冷蔵庫がまだなくて 作り置きなど出来ない、  その日食べる分しか食品がなかった時代・・
 

何事もなかったかのように  また 静かに縫い物を始める母の横で、    俺は一人 ぽつんと母を見ていた











今から40年前・・  


もうあの おじさんは亡くなっているのかもしれない・・


家族がいたのか どこに住んでいたのかも わからない・・


わかっているのは  当時 誰もがギリギリの生活をしていたこと


助け合って、お互いが出来る事をしていた時代・・        



日に焼けた畳みの匂い

風になびく 南部鉄器の風鈴の音を聞くと 今でも思い出すあの時の出来事・・







実家の物干し台には 40年経った今でも その おじさんが置いていったステンレス製の物干し竿が くくりつけてある

それは、 屋根から落ちてきた雪で    曲がって・・   折れて・・   ガムテープで止めてある ボロボロになった物干し竿





俺はそんな村に生まれ      育った





昭和という町並みが 消えそうになっている今・・   

でも   この記憶の中にずっと・・

















  

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2012年11月15日






『  最近 白米は食べないようにしているんだよ 』

『 子供達が 凄く食べるようになったし・・   米代が高いからね! (笑)』



これ、 母との 電話でのやり取り



そう言う俺に
真剣な口調で


『  そんな偏食して  身体壊して・・   病院行ったら それ以上に金がかかるだろう、 ちゃんと食べな  』


と母









よく考えれば  当たっているような 違うような・・



田舎の小言に
一瞬、 昭和の町にいるような懐かしさ



故郷は 場所なんかじゃなくて、 少年期に過ごした思い出の中にあるのかもしれない










   

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2012年11月07日

遠い思い出

4日は 父の命日だった





トレーラーのテーブルにはグラスが二つ
この日は スコッチが好きだった父と 二人きりで飲んで過ごそうと前から決めていた


遠洋漁業が仕事だった父


一年のうちに たった1ヶ月しか陸に上がれず
子供の頃、自分の前には いつも父の姿は無かった


ふと、 父は亡くなったのではなく
今でも 大きな黒いバッグを背中に抱え
仕事から
家族が待つ自宅に戻って来るような気がする・・



そんな懐かしい 《 錯覚 》 に堪らず涙が出てくる










久しぶりに酔っ払った   晩秋の日曜日











関連記事
         
あの日・・ 父のブランデー      

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの       









  

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2012年09月28日

songs




朝  運転する車内でのインターFM(76.1MHz)

いつか どこかで会ったような・・   味のある黒人女性の曲が聞こえてきた

派手じゃないけど  綺麗に晴れた 秋晴れの空に染み渡る Voice




誰だろ・・





曲の終わりに告げられたアーティストは Whitney

亡くなる前に残した曲だった











  

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2012年02月14日

DIVA / WHITNEY HOUSTON 











2012年2月12日 WHITNEY HOUSTON が亡くなった


マイケルが亡くなった時  ・・   それ以上の衝撃が走る





1988年

今までとは違うチャーミングな黒人歌手が 抜けるような声で歌い上げる

彼女の歌はデート中 車内のBGMに外せない曲の一つだった



48歳  若すぎた死 ・・


まだ信じられない ・・



もうすぐ 本当の Soul Diva になれたのに








I will always love you


Dedicated to  Mrs.WHITNEY










  

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2011年10月29日

旧友

先日  故郷の 旧友が亡くなったと 友人からメールが届いた



体を悪くしたとは聞いていたけど ・・











子供の頃から 一緒に自然の中で走り回って遊んだ同級生
    
霜を踏みしめながら 一緒に登校した寒い朝 ・・

アスファルトに長く伸びた 自分達の影を追いかけながら 皆で歩いた学校の帰り道 ・・。    そして空いっぱいに広がるきれいな夕焼け 



今思えば 皆が兄弟みたいだった 小さな村の同級生達











ある日・・ 学校での予防接種


クラスで一列に並んだ先には 注射器を持つ白衣の医者の姿が見える


注射を打たれるのはクラスの座席順


後ろの方で 腕をまくりながら順番を待つ時間がとても長かった





先に終わった友人達が次々に 脱脂綿で腕を押さえながら 自分の横を通り過ぎていく



  『 ねっ?    痛かった?? 』 



不安で聞く自分に なにも答えず 笑顔で通り過ぎる友人ばかり



自分よりも先に それ を経験したクラスメート達が すごく眩しく見えたあの頃 ・・ 








あまりにも早く先に逝ってしまった友人



なにも言わなかったけど ・・



本当は       



『   痛かったよ・・   』      言いたかったんだよね ・・ ?       
   





























  

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2011年04月15日

大震災3

東北震災  





震災地  避難所

小さな小学生の子供が言葉に詰まり目に涙を溜める
90歳にもなる老人でさえ 涙を流しタオルで目を覆う・・ 本当に怖かっただろう
自分にとって、 耳に馴染んだ南部訛で話す言葉   それを聞いて堪らなく泣けてくる



震災でもこれほどの広範囲、そして死傷者の数・・ その中で 避難者が冷静に今を耐えている姿は世界でも他に例がない


皆愚痴を言わずに じっと耐えている


家があっても寒い時期なのに・・  冷たい床に横たわる









自然が厳しい東北

春から秋までは日本のどこでも見られる 同じような季節風景だが
北東北は冬になると一変

むしろ一年を降雪に合わせた生活サイクルになる

ゆえに、長い冬を乗り越えた後に迎える春は 一年の中でも特別な季節

沿岸部のこの場所は雪に加え、津波や高波、船の遭難など様々な事例が昔から語り継がれて来た場所だろう
漁船転覆で流されたり 色々な事を聞いて育ち  励まし 協力し合いながらの環境で生き抜く術を知っている

  
《 自然が相手の過酷な生活地域 》


小学低学年ですら じっと耐え 大人の手伝いをしている



それが世界中に向けて発信される












あれから1ヶ月


残念ながら 未だにテレビやモバイルから入る情報でしか現地を把握することしかできない自分
岩手へはまだ帰省できずにいた

日本中・・ いや おそらく世界中の人々が自分と同じ 何らかの端末をかえした情報でしか 今回の現状をつかめていないだろう   



その情報によって ときに自分の住む街では異変が起きていた・・



昼夜を問わずガソリンスタンドへ並ぶ長い車列

  



スーパーでは生活用品を買い込む消費者の列 ペットボトルの異常な不足・・ 結果生まれた物資の不足
震災からわずか1 2週間の出来事  どれも しばらく我慢をすれば再開するものばかりだ

放射能の影響を懸念し、子供を外で遊ばせない親までもいる

これは全て 震災地から遠く離れた都内近郊で起きている事実・・
しかも 情報源は人伝えではなく 殆どがメディアからの影響だ



《 パニック 》

 

人はここまで弱い??


TVでもよく耳にする言葉  《 助け合い 》

『 震災地になにか力になれれば・・・ 』

インタビューに応じる人たちの殆どがそう話す・・  反面 買占めに疾走するこのパニック  
マスコミの影響なのか、いつまで続くか分からない不安に潰され 自身のコントロールが出来ていない人達


そして最後には  《 政権 》 への不満・・



《 もし・・ 東京が被災したなら  》


東北のように 皆 謙虚でいられるだろうか・・
冷静にお互いを助け合うことが出来るだろうか・・


全てが管理に置かれ 守られ それに慣れてきた都市。
災害が起き、行政が停止したら 恐らくクレームの嵐にのまれるだろう

現に、今回の報道各社を見ていると クレームや中傷ばかりが目に余る・・
  
何をすれば得策なのか・・  震災時は その答えが一人一人 自ずと心から生まれ、行動に出なければ 大人として情けない・・

政府の対応を非難しているよりも 寧ろ、自分の傍にいる人達への小さな善意が最速で効果を発揮する・・ 大切なことだ 








《 計画停電 》


自宅では計画停電が行われた

ほんとに 一瞬で街全体が暗くなる  普段慣れているせいか これにはビックリ!
防犯セキュリティーも全て停止するが 暴動は勿論、犯罪が起きない日本は素晴らしいと思う
もし治安の悪い国ならば  計画停電は 犯罪者にその地域はセキュリティーが動作しない事を公表しているようなものだ



信号機も全て停止




普段 普通に通る道が 停電となるとやっぱり・・  確かに怖いな
信号が停止している為に あらゆる方向に目をやりながらの運転・・ 錯覚を起こす
結果、 皆 運転が荒くなっている






自宅マンションでは停電中、暗い中でシャワーを浴び、 リビングではガスランタンに灯を燈す





ランタンの中での食事
ケイト達は    『 キャンプみたいだね!! 』   はしゃいでいたテヘッ




マンションの外から見ると 自分の部屋だけが ボーッと明るくなっている テヘッ







田舎で過ごした子供の頃、  雪で電線が切れたのか 停電が頻繁にあった事を思い出す・・  『 懐かしいな~ ニコニコ 』

  
我が家はこの停電を十分楽しんでいる
滅多に経験できないことだから 子供達も  《 電気のない環境 》  それを体感することが出来た貴重な3時間

『 パパが小さい頃はさ、 よく雪や風で停電してたんだよ・・    ローソク灯すと影が出来て こんな感じだったなー テヘッ  』

「 へー ビックリ   そなんだ!! 」

普段 口で伝えるよりも 子供達には体感するのが一番だった


その計画停電
我が家は全く問題ない!   寧ろ 震災地へのボランティアとして 受け入れている

親が不安になれば 子供達にそのまま伝わってしまう

今 何かをすべきことは 小さなことでも十分!  それは すぐ近くにいっぱい転がっているものだ








《 心動かぬ人になっていないか  》



都心のガソリンは 2週間で復旧された・・
今、このときでも 原発を制御しようと 命を懸けて機器を修復している人達がいる
あれほどの津波と多発性地震  それでもたった1ヶ月で ここまで復旧できている

俺は この事をものすごく評価している  






震災からずっと  岩手の詩人  宮沢賢治の 《 雨にも負けず 》  の言葉が頭の中をリフレイン




被災地になにかをする気持ちがあるならば まずは自分の気持ちをコントロールしよう
本当に 震災を受け止めるならば・・     
被災者の気持ちを本当に感じ、日本の復興を信じるならば まずは我慢することから始めたい



毎日繰り返される情報
そのものを 過剰に受け止めることも出来れば、 現状をそっと胸にしまい なるべく周囲を不安にさせない配慮も出来るだろう


それぞれは  各自の  《 心 》  にゆだねられる


テレビの報道や周囲の中傷意見に その都度 翻弄され, 自分の持つ不安をコントロールできなくなる ・・  そんな大人にはなりたくない


勿論、それはいつの時代も同じ





これからも・・









   
  

Posted by juba at 14:59Comments(2)Conception

2011年03月14日

大震災2

テレビの報道を見ながら考えていた




《 店舗の確認に行かなきゃ 》


事前情報では  都内ではビルなどの倒壊は無く、 一般道では幸い 交通規制が行われていなかった

自宅から 車を都心に向け走らせる







夕方6時過ぎ

いつもの 通り慣れた道だが その日は違った

歩道に 何列も歩く人の流れが止まらない、 その帯は車道まではみ出ている

『 全ての電車が止まっている為か・・・ 』


人の流れが車道を遮り、 抜け道から幹線道路に 中々車を出すことが出来ない
渋滞の車列の中で   ふと 横を見ると 寒さの中バスを待つ長い列が出来ていた


『 この渋滞じゃ  バスも動けないだろうな・・  』


とっさに 助手席の窓を開けた


『  新宿に向かいますが、 乗りませんか?  7名乗車できます  どなたでも!!  』



『 ・・・ 』


最初は返答が無かった


『 いいんですか?? 』


一人の女性が答えると  周りにいた乗客も次々に 車に乗り込んできてくれた


看護士をされている20代の女性  男子高生と一緒の母親  会社帰りに混乱にあった20代と30代のサラリーマン  寒さに震えていた50代の男性達

何名乗車したかは分からない
既に定員はオーバーしていたが 構わず車を走らせた

車内のテレビに流れたニュース画像に 皆が息を飲む


『 これ・・  何ですか?? 津波!?  』


衝撃的な映像を そのとき初めて見る方が殆どだった
皆 言葉を失う


都内も揺れたが、 まさか東北で・・ こんな惨事になっているとは・・




新宿までの1時間

《 助け合おう 》

皆 それを口々に 新宿で無事に下車する





店に着くと 意外にも損傷は皆無で
心配された ボトルやグラスの落下も無かった


『 助かった・・  』


店の確認を終え、 フロアーに出るとビルの床面が損傷を受けている

《 揺れは 確かに大きかった 》





周囲を見ると  交通マヒで帰宅の出来ない人たちで新宿が溢れている

歩く人達・・   いつまでも来ないタクシーに手を上げて待つ人・・   繋がらない携帯で 何度も々 連絡を試みる人
そして、 コンビニは必要な物資を買う人でいっぱいだった

その日、震災で店は閉店の予定だったが それを見て店を開けることにした

外は寒い・・  歩いて帰るにも 遠すぎる・・ 多くの店舗は既に閉店 温かい食事も取れない・・


『 店に何か出来ることがあれば・・ 』


その日は幸い 都内は停電が無く、深夜まで営業が可能だった

店内は食事を求めるお客様でいっぱいになり、 震災の話題・・  そして余震の不安
それぞれが お互いの無事に感謝し 深夜まで過ごした


聞くと 朝には一部の地下鉄で 運行が始まるとのこと・・


『 すごい・・   もう電車が走るんだ・・ 』


ビル一階のフロアーでは 帰宅の出来ない人たちが毛布を支給され、冷たいフロアーで一夜を過ごそうとしている







つづく

  

Posted by juba at 22:20Comments(6)Conception

2011年03月13日

大震災1

皆さん 御無事でしょうか?


大変な惨事が起きてしまいました


3月11日 14:45分


鉄骨マンション2階の自宅にて揺れを感じる

カタカタと家具が音をたてはじめた地震
 
『 そのうち治まるだろう・・ 』 

思っていたが、左右に引っぱられるような  長く大きな横揺れに急変化  
大人の体が横に持っていかれる    これは初めての経験だった


普通ならば 徐々に治まる揺れが 大きく揺れたまま治まる気配が全く感じられない


左右に振られながらリビングに行くと 海月たちがあまりの 怖さでうずくまっていた

『 大丈夫 もう直ぐ治まるから 』

90cmの水槽からは海水が溢れ出、 オフィスでは書棚が崩壊
とっさに 《 首都直下型 大震災 》 が 頭をよぎる

その大きな揺れは、収まることなく また直ぐに大きく揺れだす
地震の多い東北で育った自分、揺れには慣れている  極めて冷静だった。


揺れる中で思う・・

そういえば・・ 阪神淡路地震の時も 東京はこんな ゆっくりした揺れだったな・・ 

《  震源地から離れると 揺れの振幅が広く ゆっくりと揺れる 》    いつか聞いたことがある




震源はここじゃない!


最近の東北での地震・・ 


『 まさか・・  』


即効でテレビをつける

最初に目に飛び込んだのは、 慌てた様子で原稿を読む男女のアナウンサー・・  そして

《 東北地方震度7強 》   の文字


次に画面に現れたのは 赤で縁取られた日本列島
そして  《 大津波 》  の文字     今まで見たことの無い衝撃的な文字が続く

とっさに 岩手の実家に電話するが 既にもう繋がらない



その間 まだまだ大きな揺れが来る  今度は 《 東京都 震度6強 》 の文字

『 高層ビル 倒壊 』    頭をよぎる
新宿の高層ビルに出店している店がある・・  Bar jubaは超高層ビルの中にある店だ


そのビルオフィスで働く 常連のお客様にメールを入れてみる・・ 無事であればいいが・・






この後 信じられない光景がテレビに映し出された

宮古沿岸の漁港  そこに入り込む海水が止まらない


土煙をあげながら 海水が家屋にぶつかる

生き物のように家屋を崩しながら 進み続ける海水

あまりの光景に 涙が止まらない

それが 《 津波 》 なのは自分でも分かるが、目の前の映像が何なのか  頭の中で整理できず ずっとそこから動けない
普段、簡単にうろたえたりしない自分だが、 頭が混乱するほど それは衝撃が強い映像だった

岩手で育った自分、 宮古も聞き慣れた自分の故郷の一部だ







つづく



  

Posted by juba at 23:57Comments(4)Conception

2011年02月23日

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの







ニュースで見た グリンピース 《 シー・シェパード 》 の 日本捕鯨船への妨害



幾度となく続けられている妨害・・    




いつも思うことがある


人生の半分を捕鯨船で過ごした父
父が生きていて これを見ていたら なんと言うだろう・・


捕鯨船を執拗に追い掛け回す シー・シェパード ・・ そして 投げ込む汚物

これが父の船なら・・

きっと TVで見るあの 日本の調査船にも 同じ様に家族を持つ 『 父 』 が乗船しているはず
それを見て 心が痛むのは自分だけだろうか・・




65年前の敗戦当時・・  日本人への貴重な蛋白源としてGHQより 《捕鯨》 を認められる
子供達の給食をはじめ、鯨油など 様々に形を変えた貴重な鯨の存在


でも それを日本へ持ち帰ることは とても大変なことだった







《 捕鯨 》



巨大な捕鯨船、 南氷洋にたどり着くには 約2ヶ月かかる


捕鯨は 鯨を解体し冷凍保存設備を持つ母船と、鯨を追いかけ モリを撃ち 
母船に鯨を引寄せるキャッチャーボートの2隻が1チームで行う

母船は200mほどもある巨大な船、 もう一つのキャッチャーボートは 30m程の小さな船だ

全盛期には母船5隻が出航
船は 途中、 幾度となく時化 (しけ)でせり上がった巨大な高波をかぶりながら、危険な航海をへて 船と乗組員は 共に初夏の南氷洋へ向かう

赤道直下は40℃以上  船内は高熱にさらされたという・・   熱帯夜に デッキを叩く多量のスコールが 船員達の唯一の冷却方法 
反面、 徐々に南極に近づくと 気温も冷え 船が巨大な氷の塊に覆われる





ここに貴重な写真をあえてUPしたい
父が大切に保管している苦楽を共にした仲間の写真





生前  父から 捕鯨に関する様々な出来事を聞いた

『 鯨には退化した小さな足が付いている・・ 』   『 耳垢の年輪で その鯨の年齢がわかる・・ 』

子供の頃もそうだったが、大人になった今でも それらの話には興味をひかされる



とてつもなく大きな氷山に船体が挟まれ、母船が航行不能になり 
極寒のなか 乗組員が高い氷山をザイルで登り、氷上にエスケープしたこともあると聞く

極寒の夜空になびく 緑のオーロラ・・  月夜の海に鳴り響く鯨の鳴き声
どれも想像を越える実話だった


一度日本を出ると 7ヶ月の間、給油で港へ立寄る以外は船から降りることが出来ない

当時 国の食糧難回避への期待を背に受け、皆 それぞれの思いで家族の元から極寒の地 南氷洋へ向かった
文字通り 命をかけて捕鯨を行う過酷な仕事だ

戦後 特攻隊に行かれた方々も 多く乗船していたと聞く






日本ではずっと以前から捕鯨は行われている
それは何百年も 前から各地で行われ、 鯨を慈しみ 供養塔を立てたり・・ 信仰まである地域も少なくない





乱獲で繁殖力を危惧されているという捕鯨・・   でも 実際は本当にそうなんだろうか・・




日本の捕鯨船には 航海中ずっと IWC (国際捕鯨委員会) の調査員が乗船し、捕獲数を細かくチェックされる 
現に父の船にも アメリカからの調査員が2名乗船していたと聞く・・

捕鯨は 多種に及ぶ鯨の中でも、繁殖力の小さなナガス鯨や白ナガス鯨などは捕獲数を少なく、繁殖力の大きなミンク鯨や イワシ鯨が捕獲の対象となっている

それ程までに 当時から制限があった捕鯨・・     なのに  なぜ・・  今





生息数が多いものだけに限定する捕獲
しかも 今は民間の商業捕鯨ではなく 政府が生息数を調査する名目で行う 極めて限定的な数の捕鯨




捕鯨を行う国は 日本 デンマークやノルウェー ロシアなど 39カ国とも言われている

実際、日本の使用する捕鯨船はノルウェー製の船だ 








日本から14000km離れた場所で 
男達が危険を背負ってまで行わなければならなかった 《 捕鯨 》  
それが これから世間に知られることは もう無いだろう






《 忘れてはいけないもの・・ 》






政治や 外交問題はわからないけど

父達が持ち帰った鯨肉・・

子供の頃 中々噛み切れない大きな鯨肉に 四苦八苦していた俺を見て 父が笑っていた

自分にとって もう口にすることは出来ない・・   そして大きな父に見守られた あの夕食の時間 







 
でも・・  今  ここにあったなら
 
あの頃を思い出すだろな 父さん

 















  

Posted by juba at 02:12Comments(6)Conception