1本の物干し竿・・ あの夏の日

juba

2013年06月30日 16:12






こんな 暑い夏の日には    時々思い出すことがある










今から40年ほど前の   ある夏の日・・

俺の生まれ育った場所
岩手の九戸という村にあった 小さな2階建ての 旧家での出来事・・






その日はとても暑くて、 縁側の雨戸や 家の入り口、 通りに面した広い出窓を全部開けっ放しにしていた

裏庭に通じる縁側に吊された南部鉄器の風鈴・・   その舌(ぜつ) に結ばれた短冊が 風になびいて チリンチリン  心地よい音を出している





和裁業を営む母


作業場が道路に面していて まだ当時、 目の前の国道にはアスファルトが敷かれてなくて 土のままだった

風が吹くと 土埃が舞うから ・・ と     あまりその出窓を 開けっぱなしに することがなかった母







夕方にはまだ程遠い時間
その窓際に 一台の車が止まった


停車した車の窓が 日差しで ギラギラしていて、 小学一年の俺には とても眩しく感じた 夏の日の暑い午後・・

その車は 荷台に物干し竿を いくつか積んだ小さなトラックだ







しばらくすると、 運転席から一人のおじさんが降りてきた

こっちに向かって歩いてくる・・    どうやら家(うち)に用事があるようだ




白いTシャツとカーキ色の作業ズボン
首には手ぬぐいをかけていた その小柄な 40代後半ぐらいの おじさんは・・

開けっ放しにしていた家の入り口のドアまで来ると、  静かに 母に こう言った





『   奥様すみません・・    3日の間 なにも食べていなくて・・   なにか食べるものはありませんでしょうか・・   』




頭を下に下げた そのおじさんの 言葉には元気がなかった

それを聞いた母は 少し驚いていたけど、  すぐに着物を縫う その手をとめて ゆっくりと立ち上がりながら・・     こう伝えた




『     すみません    うちにも何もなくて・・             困りましたね・・    』



そして・・   しばらく考えていた母が   思い出したように



『    茹でる 冷麦 (そうめん) がありました、  それしかないですが・・   それでよろしければ 今から作ります    』     


そう伝えると、
入り口に立つその男性は  申し訳なさそうに 



『   ありがたいです  助かります    』      と母に頭を下げた
   








その一部始終を見ていた俺は 母に言われ、裏の通路に面した縁側に案内し・・     縁台に腰掛けた おじさんに水を出す

おじさんはその間、   手ぬぐいで 何度も 何度も汗を拭いていた・・



線を引いたように 夏の太陽が通路に差しこみ・・   通りから 縁側を抜ける 夏の風が心地良い  
 


《   チリンチリン  》  


家の中には 風鈴の静かな音だけが響いていた









しばらくして  母が冷麦を出すと 手を合わせ、それを無言で食べ始めた おじさん


その後 全てを食べ終え、  何度も 何度も母に頭を下げ


『    奥様  ご馳走様でした   本当に申し訳ありません   』


そんな事を言っていたような記憶がある・・


母も 自宅に十分な食べ物がなかったせいか  《  すみません  》  と 頭を下げていた 









その後・・     
おじさんは車に戻ると  荷台から  1本のステンレス製の物干し竿を取り出し、   肩に担いで 戻ってきた




『  何もお礼ができないので、 この竿を置いていきます  』



その ステンレス製の物干し竿は 当時では珍しい   とても高価な物・・
それを1本肩に担ぐと 裏庭の洗濯場に どんどん歩いて行くおじさん


そして それを申し訳なく思い、 制止しようとする母・・


程なくして、  物干し竿を置くと おじさんは すぐに車を走らせて  遠くに行ってしまった








当時は スーパーもない田舎道の山道
集落を移動するのにも何時間もかかる・・

竿が売れずに 何日も何日も 村から村を彷徨い たまたま開け放った通りの窓から 縫い物をする母の姿が見え、
それにすがったのだろう

家 (実家)にも 冷蔵庫がまだなくて 作り置きなど出来ない、  その日食べる分しか食品がなかった時代・・
 

何事もなかったかのように  また 静かに縫い物を始める母の横で、    俺は一人 ぽつんと母を見ていた











今から40年前・・  


もうあの おじさんは亡くなっているのかもしれない・・


家族がいたのか どこに住んでいたのかも わからない・・


わかっているのは  当時 誰もがギリギリの生活をしていたこと


助け合って、お互いが出来る事をしていた時代・・        



日に焼けた畳みの匂い

風になびく 南部鉄器の風鈴の音を聞くと 今でも思い出すあの時の出来事・・







実家の物干し台には 40年経った今でも その おじさんが置いていったステンレス製の物干し竿が くくりつけてある

それは、 屋根から落ちてきた雪で    曲がって・・   折れて・・   ガムテープで止めてある ボロボロになった物干し竿





俺はそんな村に生まれ      育った





昭和という町並みが 消えそうになっている今・・   

でも   この記憶の中にずっと・・



















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