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2011年02月23日

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの







ニュースで見た グリンピース 《 シー・シェパード 》 の 日本捕鯨船への妨害



幾度となく続けられている妨害・・    




いつも思うことがある


人生の半分を捕鯨船で過ごした父
父が生きていて これを見ていたら なんと言うだろう・・


捕鯨船を執拗に追い掛け回す シー・シェパード ・・ そして 投げ込む汚物

これが父の船なら・・

きっと TVで見るあの 日本の調査船にも 同じ様に家族を持つ 『 父 』 が乗船しているはず
それを見て 心が痛むのは自分だけだろうか・・




65年前の敗戦当時・・  日本人への貴重な蛋白源としてGHQより 《捕鯨》 を認められる
子供達の給食をはじめ、鯨油など 様々に形を変えた貴重な鯨の存在


でも それを日本へ持ち帰ることは とても大変なことだった







《 捕鯨 》



巨大な捕鯨船、 南氷洋にたどり着くには 約2ヶ月かかる


捕鯨は 鯨を解体し冷凍保存設備を持つ母船と、鯨を追いかけ モリを撃ち 
母船に鯨を引寄せるキャッチャーボートの2隻が1チームで行う

母船は200mほどもある巨大な船、 もう一つのキャッチャーボートは 30m程の小さな船だ

全盛期には母船5隻が出航
船は 途中、 幾度となく時化 (しけ)でせり上がった巨大な高波をかぶりながら、危険な航海をへて 船と乗組員は 共に初夏の南氷洋へ向かう

赤道直下は40℃以上  船内は高熱にさらされたという・・   熱帯夜に デッキを叩く多量のスコールが 船員達の唯一の冷却方法 
反面、 徐々に南極に近づくと 気温も冷え 船が巨大な氷の塊に覆われる





ここに貴重な写真をあえてUPしたい
父が大切に保管している苦楽を共にした仲間の写真

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの



生前  父から 捕鯨に関する様々な出来事を聞いた

『 鯨には退化した小さな足が付いている・・ 』   『 耳垢の年輪で その鯨の年齢がわかる・・ 』

子供の頃もそうだったが、大人になった今でも それらの話には興味をひかされる



とてつもなく大きな氷山に船体が挟まれ、母船が航行不能になり 
極寒のなか 乗組員が高い氷山をザイルで登り、氷上にエスケープしたこともあると聞く

極寒の夜空になびく 緑のオーロラ・・  月夜の海に鳴り響く鯨の鳴き声
どれも想像を越える実話だった


一度日本を出ると 7ヶ月の間、給油で港へ立寄る以外は船から降りることが出来ない

当時 国の食糧難回避への期待を背に受け、皆 それぞれの思いで家族の元から極寒の地 南氷洋へ向かった
文字通り 命をかけて捕鯨を行う過酷な仕事だ

戦後 特攻隊に行かれた方々も 多く乗船していたと聞く

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの




日本ではずっと以前から捕鯨は行われている
それは何百年も 前から各地で行われ、 鯨を慈しみ 供養塔を立てたり・・ 信仰まである地域も少なくない





乱獲で繁殖力を危惧されているという捕鯨・・   でも 実際は本当にそうなんだろうか・・




日本の捕鯨船には 航海中ずっと IWC (国際捕鯨委員会) の調査員が乗船し、捕獲数を細かくチェックされる 
現に父の船にも アメリカからの調査員が2名乗船していたと聞く・・

捕鯨は 多種に及ぶ鯨の中でも、繁殖力の小さなナガス鯨や白ナガス鯨などは捕獲数を少なく、繁殖力の大きなミンク鯨や イワシ鯨が捕獲の対象となっている

それ程までに 当時から制限があった捕鯨・・     なのに  なぜ・・  今


オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの


生息数が多いものだけに限定する捕獲
しかも 今は民間の商業捕鯨ではなく 政府が生息数を調査する名目で行う 極めて限定的な数の捕鯨

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの


捕鯨を行う国は 日本 デンマークやノルウェー ロシアなど 39カ国とも言われている

実際、日本の使用する捕鯨船はノルウェー製の船だ 



オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの




日本から14000km離れた場所で 
男達が危険を背負ってまで行わなければならなかった 《 捕鯨 》  
それが これから世間に知られることは もう無いだろう






《 忘れてはいけないもの・・ 》






政治や 外交問題はわからないけど

父達が持ち帰った鯨肉・・

子供の頃 中々噛み切れない大きな鯨肉に 四苦八苦していた俺を見て 父が笑っていた

自分にとって もう口にすることは出来ない・・   そして大きな父に見守られた あの夕食の時間 







 
でも・・  今  ここにあったなら
 
あの頃を思い出すだろな 父さん

オーシャン/捕鯨/忘れてはいけないもの 


















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この記事へのコメント
こんにちは!

自分のことを・・・
棚に上げる国の・・・
テロリストのような・・・
シーシェパード・・・
・・・・・・
心が痛みます・・・

捕鯨・・・
乱獲でなければ・・・
いいと思うのですが・・・
・・・・・・
鯨肉・・・
給食の・・・
鯨の竜田揚げが・・・
大好きでした・・・

母曰く・・・
「皆、鯨に育ててもらった・・・」
って・・・

海の男達が・・・
命がけで獲ってきてくれてたのですね・・・
その中に・・・
jubaさんの・・・
お父さんも・・・

確かに・・・
外交や政治の事は・・・
わかりませんが・・・

命がけで続けてくれた・・・
《捕鯨》を・・・
忘れては・・・
いけないって思います・・・
・・・・・・
追伸・・・
お父さん・・・
海の男・・・
かっこいいですね!
Posted by ponkan at 2011年02月24日 13:16
ponkaさん

ありがとうございます

outネタではなく こんな記事が多くなりましたね(反省)

そうなんです! 鯨  当時は全国の小学校でよく竜田揚げが出ていましたね
牛肉なんて 本当に高価で ご馳走でした

父は晩年 毎航海に言ってました 『 もう限界だ 』 過酷な作業だったんだと思います
でも 皆、 国に必要だから  そう思って出航していたんだと思います

現に 特攻隊から生き残った方々が 職を求めて 乗船されていたと聞きます

忘れてはいけないもの・・  色々ありますね


いつも有難うございます
暖かくなって気ましたね  次は アウトドア ネタでいきます (笑)
Posted by jubajuba at 2011年02月24日 15:53
こんばんは!

大変な地震が起こってしまいました。
jubaさん・・・
ご実家は大丈夫だったでしょうか。
ご無事な事を・・・
祈っています。
Posted by ponkan at 2011年03月11日 22:12
ponkanさん

ありがとうございます

震災時、自宅オフィスにおり 19時に店へと向かい
新宿どころか あちこちで 電車と首都高停止にて 交通マヒ
道歩く人々が多く 異常な光景でした

途中、バス停で いつまでも来ないバスを待つ乗客に 声をおかけして
デリカに乗車  新宿方面で下ろしながら 店まで3時間
店はパークタワーのビルは かろうじて倒壊はありませんでした

その後 各店舗の確認・・  つもりでしたが、 帰宅できない方々が多く、店を開放し 暖を取って頂く事に急遽変更

帰りに お客様を 又デリカに・・ そして渋滞・・ 二時間  今帰宅しました


岩手は 依然連絡が取れません・・

電気が完全に止まっているようで 正月同様  実家は 電気がないと食事も作れず  心配してますが・・  近所とのコミュニケーションがありますので
何とか 無事でいると思います

異常な揺れ・・ 止まらない 各地の地震

 車内でも話しましたが、 とにかく 『 助け合い 』 それだけです

コメント 本当に有難うございました


とり急ぎ


juba- JUN
Posted by jubajuba at 2011年03月12日 05:39
何度か挑戦したのですがコメントアップがうまくいきません。
親父のアルバムへようこそ!
Posted by てっち at 2015年02月23日 03:34
てっちさん
ありがとうございます
何度か てっちさんのブログにコメントを入れさせて頂いたのですが、うまく入れることが出来ませんでした…

返信が遅くなりまして申し訳ありません
これからも宜しくお願い致します
Posted by jubajuba at 2015年04月12日 21:41
 
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